心と体を軽くするLIFEセラピー

【作業療法×予防医療】

僕はこんな人間です

みなさんはじめまして

 

クリニック・健診センターで作業療法士をしてますオーティーと申します。

 

作業療法士のOT(Occupational Therapy)からつけました。作業療法が大好きです。

 

 

作業療法って国家資格のリハビリ職の1つですが、ご存知でしょうか??

 

なんらかの障がいを負った方に対し、作業を媒介として心と体を元気にする専門家です。

 

作業とは目に見える手作業もあるのですが、健康のうちは当たり前すぎてその存在をわすれてしまう空気のようなものもあります。

 

障がいは、生まれつきの方もいれば、事故の方、病気の方などおられますが、僕の専門は、筋骨格の問題で慢性症状を起こしている方の治療です。

 

例えば、スマホのやりすぎでストレートネックとなり、頭痛、肩こり、めまいなど。

 

しかし、苦痛を感じる方の大半は心や体が硬くなり歪んでしまっているものです。

 

特に、精神的ストレスから症状が増幅する方が多いため、心理学を勉強し、臨床では患者さんの心の奥にしまったお話を聴いたり、認知行動療法などを活用しています。

 

そんな方の心と体の調整をすることで、生きやすくなるお手伝いをしています。

 

いまでこそ、自分の天職につけたなという思いですが、なんどか曲がりくねって今がありますので、少し長いのですが、触れたいと思います。

 

 

特に夢もなく安全な道を選んだ大学時代

 

今から約30年前の中学生のころ、アメリカのドキュメンタリーTVをみていたら、

 

目の見えない視覚障がいの方が、当時の最先端技術で脳と目を回路でつなぎ、ぼんやりと光がみえるようになったという話でした。

 

特に何がみえるというわけではなかったようですが、全くの暗闇の世界から光影が動くのがわかるようになったようで本当に感激していました。

 

 

そんな影響もあり、大学の進路を決めるとき、当時少なかったロボット工学をやっている私立大学を受験しました。

 

しかし、当時は、「将来、ロボットでは飯が食べれないよ」と周りから言われたことや、国立大学工学部が受かったこともあり、安全志向な僕はそちらに行くことにしました。

  

結局、卒業後は東京のカーナビのタッチパネルや、携帯電話のコネクタ部など作っている職場でサラリーマンをすることになりました。

 

 

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20名位いた同期は仲が良く、とにかく遊ぶことしか考えてませんでした。仕事自体はまったく興味がわかず、仕事をしないダメダメ社員でした。

 

 

その頃、仲の良かった同期の一人が、バイク事故で頚髄損傷となりました。当時、その友人は同期に好きな子もいたのですが、入院中なにもかもあきらめなければならない姿をみて悲しくなりました。

 

退院後、よく行っていたカラオケも花火大会も人込みや砂利道では車いすをおすことができず、トイレの問題もあってあきらめたこともありました。

 

その頃、僕は今の妻と結婚したのですが、この先、数十年と家族を養いつづけることの責任の重さに気づき、自分にとってずっと情熱をもってやりつづけられる仕事をしたいと、初めて本気でこの先の進路を考えました。

 

そこで、これまでの経験から、興味のあった医療分野と、障がいがあっても普通に暮らせるようにしたい気持ちがあわさって、作業療法士を目指すことをきめました。

 

まだ結婚半年目の妻に相談して、脱サラ後、沖縄のリハビリテーション学校の夜間部に入学しました。

 

脱サラする時、職場の先輩から、もし仕事が嫌で辞めるならどこに行っても同じだよと言われ、嫌で辞めるのか、それともやりがいが欲しくて辞めるのか、自問自答したことを覚えてます。

 

妻とは「いつかセミリタイヤしたら沖縄に住んでみたいね」と言い合っていたのですが、まさか半年後に行くとは思いもしなかったと、当時はどやされました。

 

  

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人生で最も忙しかったけど夏休み気分だった沖縄ライフ

 

26歳で脱サラして、沖縄に4年住んだのですが、気候帯も違う南国で、毎週、観光地や海に行きました。

 

興味のある心と体のことを学べることや、なんといっても南国の陽気に癒されて、まったくつらくありませんでした。それどころか、情熱的になんでもトライしていました。

 

昼の仕事も、デイサービス、デイケア、宅老所、役場保健福祉課など、なるべくいろいろ体験しようと行動しました。

 

学校では、作業療法の先生が理事長で、楽しくなければリハビリじゃないとのコンセプトから、学校に船があったり馬がいたりして、僕も船舶2級の免許をとって沖釣りやホエールウォッチングを楽しみました。

 

国家試験前は、6人のグループになって対策をしたのですが、僕が任せられた班は、学力的に不安視されてたのですが、みごと全員受かりました。

 

僕も8割とったので、多分、学校で最も点数をとれたと思います。これもニードがあれば学生さん向けに試験合格のコツをお伝えします。

 

さりげなく自慢w

ムナクソ悪いわ

 

ちなみに、僕の学校では、カリキュラムにドイツ徒手医学の実技があり、4年生の時に本場ドイツに行って実技試験を受け、無事合格しました。

 

構造障害と機能障害を関連付けるスキルや考え方はいまでも役立ってます。

 

 

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沖縄移住も考えたけど地元静岡に戻る

 

国試合格後、沖縄に移住しようか迷いました。

 

でも、その当時生まれたばかりの子供を、故郷の両親に会わせるのに移動費が数万円かかることや、孫を見せるという最大の親孝行をしないのも微妙だなと思ったり、

 

沖縄には桜で花見をしたり、日本酒でさしみを食べる文化がなく、無性にそれが恋しくて、地元静岡に戻ることにしました。

 

それに静岡県は海も山もあり、子育てするにはとても良い環境だと気付いたからです。

 

 

30歳で作業療法士デビュー

 

いよいよ地元のリハビリテーション病院で働きましたが、最初はいろいろ戸惑いもありました。

 

ひとつは、人間関係。同期はみんな20代前半で、先輩もほとんど年下です。

 

全く気にならないと思ってましたが、なんとなく年下のノリにあわせることの負担や、先輩も指導する際に気を使ったと思うんですよね。

 

さらに、最初の患者様は、脳卒中で半身マヒの男性の方でしたが、当時もっている知識や技術では、ショックで苦しんでいる方の人生の再建に役立てている気がしなくて、

 

その方が体調不良でリハビリお休みした日は、無力感で涙がでたのを覚えてます。

 

そんななか数か月後、外来リハビリに異動となり、ある先天性の発達障がいのお子さんを対応することになりました。

 

覚醒が低く、立位保持も困難だった子でしたが、スポーツ吹矢をすることで次第に立ったり、歩いたりできるようになりました。

 

その経過を脳外科医の先生と論文発表することとなり、それが縁で、その先生の開業の際に声をかけて頂き、現在のクリニック勤務に至ります。

 

 

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統合医療との出会い

その先生からは「統合医療を一緒にやらないか」といわれ、その時初めて”統合医療”という言葉をしりました。

 

簡単にいいますと、医療を、西洋医学だけにとらわれず、伝統医療も統合して、広い視野で治療や予防をしていこうとするものです。

 

www.ot3life.com

 

 

また、僕が作業療法士であることも大きかったようです。

 

というのも、作業療法は、いろいろ制約のある医療保険のなかで、目標を達成するためなら手段を選ばない、とても自由度が高い療法だからです。

 

当時の僕は、院内に七輪を持ち込み、年配女性の患者さん集めて干し芋を焼いたり、ギター好きな患者さんのコンサートを開いたり、やり放題でした。

 

 

なお、リハビリテーション自体も、基底還元論的な考えでうまくいかないからうまれた背景もあり、全体を見ようとする統合医療と相性がよかったようです。

 

 

開院当初は、作業療法士の僕と、目のあまり見えないマッサージ師、鍼灸師の3人でリハビリテーション室で連携しました。

 

しかし、お互いの専門性を理解しておらず、治療に対する共通言語がないことでとても苦労しました。

 

そんなとき心の支えは、理想に向けた医療を築いていくんだという意識だけでした。

 

そして、開院して2年目に、統合医療の世界で先駆者的な先生から、統合医療学会支部を開設したいと話があり、事務局としてサポートすることになりました。

 

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ブログに挑戦

話しが長くなってしまいましたが、以上のような背景で、情熱をもって仕事をさせて頂くことができ、とても幸せに感じております。

 

そして、今回、ブログを書くことになったのも、いくつか理由があります。

 

ひとつは、自分の人生の指針をつくろうと”目標曼荼羅”というものを書いたとき、”時空を超えた分かち合い”がしたいと考えたのがきっかけです。

 

目の前にいる人と協力できるのも、さらには遠く離れた人とも、時代的にまだ見ぬ人とも協力できるのは、人だけの特性です。

 

もうひとつは、「上医は国を医し、中医は人を医し、下医は病を医す」という言葉に刺激され、作業療法も病や人をサポートするだけではなく、地域にもかかわっていこうと本気で思えたからです。

 

自分のもっている知識や体験を発信しなければ、やっていないに等しいかなと思い、

 

「”医”の中の蛙、大海を知らず」という言葉に背中を押され、自分にとって大海であるSNSの世界に入りました。

 

 

自分の軸

人は死の直前まで成長できるようです。

 

どんなに苦しくても、

 

障がいを負っても、

 

親愛な人を失っても、

 

動けなくなったとしても

 

人として成長することで乗り越えることができる存在のようです。

 

作業療法士で最も尊敬する山根寛先生の座右の銘"BE GOOD DO GOOD”を旨に、これからも自分の人生と、縁あって関われる方の幸せに没頭したいと思います。

 

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

 

そして、これからもよろしくお願いいたします。